こんにちは!
ご覧いただきありがとうございます★
pilates studio 乙の Miyuと申します。
初めての場所で、初めて会う人のレッスンを受けるのは、少し緊張するかもしれません。
あまり自分のことを話すのは得意ではないのですが、
そんな不安を少しでも柔らげられるように、私自身のことを少しお話させていただきます。
MIYU -みゆう-

名前:Miyu
血液型:O型
出身:北海道札幌市
家族構成:姉が近所に住んでいます、姉も週1ピラティスで理想の自分をゲットしました~
好きなもの(こと):食べること、健康的な食事!でも時々大好きなクッキー、シュークリーム、ラーメン、お寿司も食べちゃいます。クッキー・シュークリームはパテスリーYOSHI、ラーメンはてつや・信玄、お寿司はなごやか亭が好きです♪
サウナ、旅行(一人でヨーロッパを旅したことがあります)、料理、友達と飲みに行くこと、スノーボード、一人でぼーっとすること
苦手なもの(こと):甘すぎるお菓子、機械の操作、単調な作業
将来の夢:周りの人みんなを心身共に健康にしたい、世界のピラティスを受けに行きたい、ヨーロッパ全土に上陸したい
幸せを感じる瞬間:お客さんが喜んでくれたとき、美味しいものを食べているとき、見たことがない景色を見ているとき、ゆっくりご飯を作っているとき
「身体は、正しく使えば必ず応えてくれる」という成功体験


私の「身体」との戦いは、小学3年生から始まりました。クラシックバレエの世界。
周りの子は3歳から英才教育を受けているような環境で、私は圧倒的な「遅れ」をとってスタートしました。
「あの子、今から始めて何になるの?」
そんな視線や、子供特有の残酷ないじめもありました。でも、そこで私の心に火がついたのです。
「絶対に追い抜いてやる」
そこからの4年間は執念でした。
身体の使い方は誰よりも研究したし、誰よりも練習した。
結果、短期間で上のクラスへと駆け上がることができました。
この時、「身体は、正しく使えば必ず応えてくれる」という成功体験と、
「やると決めたら徹底的にやる」という今の私の根っこが作られたのだと思います。
母の闘病生活と、芽生えた問い


私が中学校に入ったばかりの頃から、母は7年間、癌と闘っていました。
放射線治療、抗がん剤の副作用、強い倦怠感、そして、少しずつ低下していく身体機能。
痩せていく身体と、弱っていく体力。昨日までできていたことが、少しずつできなくなっていく現実。
病気そのもののつらさだけではありませんでした。
母は、ときどきぽつりとこぼしました。
「同じ年の人たちより、どんどん老いていくみたい」
「立ち上がるのがしんどい」
「こんなに弱くなるなんて思わなかった」
“動けなくなること”が、こんなにも人の心を奪うのだと、私は知りました。
私は、ただそばにいることしかできませんでした。背中をさすることもできる。家事を手伝うこともできる。
けれど、母の身体そのものを守ることはできなかった。
その無力さの中で、心の奥にひとつの問いが芽生えました。
病気が進行する前に、身体がここまで弱ってしまう前に、何かできることはなかったのだろうか。
「“治す”よりも前に、“守る”」ことはできなかったのだろうか。
この問いは、静かに、でも確実に私の中に残り続けました。
理学療法士の道へ行くも、どん底の国家試験


バレエは、家庭の事情で諦めざるを得ませんでした。
父は幼い頃に家を出ており、母と姉と私の3人、必死で支え合う生活。
「一人でも生きていける力をつけなさい」、「手に職をつけなさい」
母のその願いを叶えるため、私は理学療法士の道を選びました。
でも、ここからが本当の挫折の始まりでした。
私、勉強が本当に苦手だったんです(笑)。
国家試験に2度落ちた私は、周りが就職していく中、私は無職。お金もない。プライドもズタズタ。
風が吹けば飛ぶようなボロアパートで、一人暮らし生活のために選んだバイト先は、
病院ではなく、お金が稼げる「スナック」でした。
夜の世界で学んだ「聞く力」


昼間は学校へ行き勉強、夜はスナックへ。
でも、人生は何が役に立つかわかりません。
夜の世界で私は、徹底的に「話の聞き方」や「立ち振る舞い」を叩き込まれました。
「自分の話は2割、お客様の話を8割聞くこと」。
どんなに辛いことがあっても、目の前の人のグラスを空にせず、心の澱(おり)を吐き出してもらう。
この時培った「人の痛みに耳を傾ける力」は、今の私の最大の武器になっています。
スナックのバイトは、人間関係もよく、第二の家族みたいでした。
最高に楽しかったです。
そして、3度目の正直で理学療法士の資格を取り、私はやっとスタートラインに立ちました。
理学療法士なのに腰椎椎間板ヘルニアの発症


理学療法士として働いた日々は、無力感との戦いでした。
小柄な私が、80kgもあるおじいちゃんを抱えて車椅子に乗せる毎日。
腰は悲鳴を上げ、ついには私自身が「腰椎椎間板ヘルニア」を発症してしまいました。
「人を治す仕事の私が、自分の身体すら守れないなんて」
マッサージや整体など、いろいろ試しました。
その場では楽になる。でも、またすぐに痛みは戻ってくる。
ピラティスとの出会い、本気でピラティスと向き合う
そんなとき、出会ったのがピラティスでした。正直、最初は半信半疑でした。
でも数回で、明らかに身体が変わったのです。痛みが和らぎ、立っている感覚が変わり、呼吸が深くなった。
「え、なにこれ……?」
やればやるほど、みるみる身体が変わっていく。
あんなに繰り返していた腰痛が、あっという間に解消していきました。私は、どっぷりハマりました。
「これはすごい!これは、本物だ!!」
そして思ったのです。
「この感覚を、他の人にも体感してほしい。
病気になってからではなく、痛みが慢性化してからではなく、
もっと早く出会えたら、救われる人がたくさんいるはずだ」と。
そして、理学療法士として病院のベッドサイドで聞いた人生の先輩たちの最期の言葉が、さらに私の背中を押しました。
「もっと、自分の身体を大事にすればよかった」
「やりたいことを、やってみればよかった」
亡くなっていく方々の、切実な後悔。
「病気になってからじゃ遅いんだ」
その強烈な思いが、
「ピラティスにもっと早く出会えたら、救われる人がたくさんいる」
私を“予防”へと、そしてピラティスの世界へと本気で向かわせました。
旅が教えてくれた、働き方 の本質



病院を辞め、ピラティススタジオに入職する前、ヨーロッパに2〜3か月滞在しました。
母が大好きだったヨーロッパ。生前母とまた一緒に行こうと約束した旅ですが、叶わず、一人で旅に出ました。
そこで目の当たりにしたのは、文化や価値観の圧倒的な違い。
特にデンマークでは、出勤ラッシュの時間、家族と楽しそうに話しながら自転車で通勤する人たちばかり。
平日15時には、ほとんどの人が仕事を終え、家族と過ごしていました。
一方、日本ではどうでしょう。
毎日満員電車で下を向き、疲れた顔でスマホをいじる人がほとんど。
「お金のため」「上司に怒られないように」「クレームを恐れて」残業。
ライフスタイルより、仕事が優先される現実。
この差は、衝撃でした。
デンマークの人たちは言いました。
「仕事は、自分や家族の生活をより良くするためにやるもの。
自分や家族の予定があれば、仕事は明日に回す。
ライフスタイルを犠牲にしてまで働いたりはしない」
その瞬間、心がガツンと揺さぶられました。
「働くために生きる」のではなく、「人生を豊かにするために働く」という姿勢。
もし日本でも、これが当たり前になったら。どんなに人生は豊かになるだろう。
まずは自分の働き方から変えよう。
そしていつか、大切な家族や友人も、こんな暮らしができるように。
効率の中で気づいた、本当にやりたいこと

その後、私は大手ピラティススタジオでインストラクターとして働きました。整えられた空間。洗練されたプログラム。
次々と入るレッスン。たくさんのお客様と出会い、経験も積ませていただきました。
あの時間があったから、今の私があります。それは、間違いありません。
けれど、1レッスン50分。次のお客様まで10分。
その短い時間の中で、4名のお客様が1つの更衣室を使うこともありました。
慌ただしく着替えを済ませ、呼吸が整わないままスタジオへ入る姿を見送りながら、私は時計を見ていました。
限られた時間の中で最大限の効果を出す。決められた流れの中で、安全に、正確に進める。
それは、決して悪い仕組みではありません。多くの方にピラティスを届けるために、必要な形です。
独立への決意

でもある日、レッスン終わりにお客様がぽつりとこぼしました。
「実は、最近少しつらくて…」「最近、こんなことがあって…」
私はうなずきながら、頭のどこかで時間を計算していました。もっと聞きたい。ちゃんと向き合いたい。
そう思う自分と、次のレッスンへ進まなければならない現実。
その小さな違和感は、やがて、はっきりとした問いに変わりました。
「私は、何のためにこの仕事をしているんだろう・・・」
理学療法士として、身体の痛みの奥には生活があり、感情があり、人生があることを知っている。
それなのに、私は“動き”だけを整えていないだろうか。
ただエクササイズを提供する人ではなく、その人の人生に寄り添える存在でありたい。
効率ではなく、深さを。数ではなく、一人ひとりを。
そう思ったとき、私の進む道は自然と決まりました。
一対一で、丁寧に向き合える場所をつくる。その人の声を、最後まで聞ける場所をつくる。
そうして私は、独立を決意しました。
人生を整えに来る場所にしてほしい

もっと深く向き合いたかった。
レッスンの最後に、ぽつりとこぼれる本音。「実は…」と続く言葉。
あの時間を、途中で切りたくなかった。
身体の痛みの奥には、その人の生活があり、感情があり、人生があります。
「腰が痛い」という言葉の奥に、「この先も、ずっと自分の足で歩き続けたい」という願いがある。
「姿勢を整えたい」の裏に、「自信を取り戻したい」という想いが隠れている。
表に出ている悩みだけを整えても、本当の意味での安心には届きません。
だから私は、まず聞きます。
焦らず、遮らず、最後まで。
すっぴんでもいい。マスクでもいい。部屋着のままでもいい。
人の目を気にせず、力を抜ける場所であること。
心がほどけると、身体はちゃんと応えてくれる。
ここは、
「エクササイズを受けに来る場所」
ではなく、
「人生を整えに来る場所」。
その想いで、このスタジオをつくりました。
私は何よりも「話しやすい環境」を大切にしています。
スタジオのドアを開けた瞬間から、悩みも愚痴も、「前回筋肉痛がすごかった」という報告も!笑
心の緊張が解ければ、身体は驚くほど素直に変わります。
10年後、20年後も「やりたいことができる身体」を、二人三脚でつくっていきましょう。
ここが、あなたのもう一つの居場所
「乙」という名前には、いくつかの想いを込めています。
“乙(おと)”には、物事の順位で「二番目」という意味があります。家でもない。職場でもない。
「あなたの自宅の“次”に、安心して戻ってこられる場所でありたい。」
そんな願いから、この名前をつけました。
忙しい毎日。仕事、家事、育児。気づけば、自分のことは後回し。
だからこそ、スタジオにいる時間だけは、
「誰かのためではなく、自分のため」
に使ってほしい。
ピラティスで不調が整ったその先にあるのは、ただ身体が軽くなることではありません。
何歳になっても、まるで幼い頃のように、夢中になること。心が弾むこと。
“乙女”のような、やわらかい感性を思い出すこと。
まずは、あなたのお話を聞かせてください。
そしてもうひとつ。「乙」には、しなやかさという意味も重ねています。
強く張りつめるのではなく、柔軟で、環境に適応できる強さ。
心も体もしなやかであること。それは本来、女性が持っている大切な力だと私は思っています。
ここでは、マニュアル通りのレッスンはしません。まずは、あなたのお話を聞かせてください。
スナック仕込みの「聞く力」と、理学療法士としての「医学的視点」。
そして、たくさんの痛みや挫折を経験してきた私だからこそ、できる提案があります。
「先生」と「生徒」という関係ではなく、下の名前で呼び合えるような、
人生を一緒に歩んでいけるパートナーとして。
レッスンが終わったあと、少し呼吸が深くなって、少し世界がやわらかく見える。
そんな時間を、これからも大切に育てていきます。
そして、あなたにお会いできる日を、心から楽しみにしています。

経歴・資格
理学療法士として総合病院・施設で5年間勤務。
大手ピラティススタジオにて1年勤務。
その後、独立し今に至ります。
厚生労働省理学療法士資格 取得
PHI PilatesJapan 資格取得

